WORLD'S END SUPERNOVA

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ジャニーズのことはなんでも書きます、そして軽率に消します。ただの記録。

愛していると言ってくれ


猪狩蒼弥くん、20歳の誕生日おめでとうございます。君が生まれたこの日を、神も仏も総出で祝福していろよと思うけれど、今日の東京は台風が接近する中の生憎の天気だし、せっかくのハレの日が休演日という虚しさに包まれながら、それでも家族が大好きな蒼弥のことだから願ったり叶ったりかなと思いつつ、一人でケーキを買った。


私事だが、東京に来て2年半が経った。上京したのは22歳の時。ありがちな現代人の典型に外れることなく鬱病になり、小さい頃から勉強も習い事もそこそこ頑張ってコツコツ積み上げた成果や、そこそこの高給取りになれそうな明るい将来への階段を自分の手でぶっ壊したのは、20歳の時だった。

すり減っていく精神に見ないふりをしてアイドルというシャブに漬かり、 朝起きたはいいけれど指一本動かせずに時計が進んでいくのをぼんやりと眺めて、布団の中で近所の公園の夕焼け小焼けのチャイムを聞くだけの日々。

何もかもがどうでも良くなり、毎日寝腐ってクソみたいな仕事をしたりしなかったり、酒飲んで死んだように寝てまた起きて酒飲んだりしながらせっせと金を貯めて、あの子やその子に会いにひたすら東京に通った日々。

21歳の初夏。初めて蒼弥に会いに行った日。あの日から私の魂の半分はずっと日比谷にあって、それを取り戻すために私はまたここに来なければならないと本気で思ったこと。

22歳。お金を貯めてなんとか今後生きていくための道筋を工面して上京した。人生の目標もハードルも親の期待も何もかもなくなった人生はあまりにしょうもなくて、こんなに早く成功者レースからリタイアすることになるなんてと笑いが漏れた。それでも推しに会えればよかった。
よかったけど、推しにすら会えない日々が始まった。


推しのいない東京をひたすら見つめるだけの日々だった。東京は汚い。ゴミだらけの繁華街を目に痛いほどの明かりで覆い隠した街。東京は夢を叶える為の場所ではなく、夢が叶わなかった事に気付かずに居られる場所だ、と言ったのは何のドラマだったか。東京は煩い。東京は臭い。東京は汚い。それでも東京は私みたいな人間に優しかった。はみ出しものの面下げてひっそり上京してきた私の自意識が恥ずかしくなるくらい、クソみたいでしょうもない人間が堂々とのさばっていた。私はそれにどうしようもない愛おしさを覚えたし、私自身もまた許されていると思った。東京に来てよかった。でも、やっぱり蒼弥に会いたかった。


蒼弥にはコンサートで会いたかったけど、東京にいるとそういう意味ではなく「会おう」とするオタクが沢山いるんだなあということを、まあ知っていたけど、改めて知った。ひょんな事で所謂「動いている」オタクの界隈と知り合い、〇〇駅の〇〇口で入り待ちするグループLINEあるんだけど入らない?〇〇のオタクとかは割と治安いいし人足りてないから入れると思うよ、などと誘われた。3秒迷って断った。こんな私になってまで君に会いたくなかった。


私は、アイドルの猪狩蒼弥が好きだ。
君が道端で唾を吐き捨てていたって、どこそこの地下アイドルと遊んでいたって、それを誰にも見せずにアイドルでいてくれればそれでいい。私だって電車で赤ちゃんが泣き叫んでいたらすぐ睨んじゃうし列に並んでて横入りされたら舌打ちするしこの前は泥酔して階段から落ちたし、彼氏がいるのにいないフリしたりもっとここに書けないことだってしたよ。それでも蒼弥の前では純粋でキラキラしてて可愛い女の子でいたいよ。君のこと全部許すから、どうしようもない私のことも許して欲しいよ


次にアイドルの蒼弥に会えたのは2021年の夏だった。この頃から蒼弥はやたらとライブで「愛している」と言うようになった。


"愛は残酷だから、本当は愛したくなんかない。愛っぽい何かをあげて、愛っぽい何かが欲しい。なのに猪狩くんは、ほんものをくれようとしていて、そうしたら私だって、ほんものをあげるしかないじゃん"


2年前に書いた私の危惧がそっくりそのままやってきた。よくあるありふれたファンサービスの言葉だけど、蒼弥がいう愛してるは、会場にいる全ての人、そして猪狩蒼弥を好きでいるこの世の人間たちの漏れなく一人一人を「愛している」のだと思った。怖かった。


私は蒼弥が好きだし、蒼弥に全ての夢を叶えて欲しいけど、幸せになって欲しいなんて軽々しく言えない。芸能人としての彼を私が欲しがれば欲しがるほど、彼に夢や希望を託すほど、一人の人間としての彼の自由は奪われていくのだし、節操もなく彼の一挙手一投足を消費して生きてる私が、幸せになって欲しいっていうなんてちゃんちゃらおかしい。芸能界なんて地獄だということは私のような一般人にも容易に想像がつく。需要があるから存在している人気商売のタレントにとって、地獄を容認しているのも、ましてや作り出しているのも私たちファンだ。私が蒼弥を好きでいることは、地獄を地獄と知りながら、その背中を押し続けることに他ならない。やっぱり、好きでいることは愛じゃないのかもしれない。


それでも、蒼弥が愛してるっていうから、私も蒼弥を愛したいと思った。15歳の君に目を奪われて、16歳の君と永遠を約束させられた私は、19歳の君を愛したくなってしまった。


"こいつらのためなら死ねるって思える4人です。"

最近、「蒼弥長生きして」などというふざけたうちわを持っている。蒼弥が生き続けてくれるだけで長期的に確定ファンサになるというお得なうちわである。しかしながら大真面目である。
死なないで欲しい。いっそ、こいつらが居なくなっても最後まで俺はステージに立ち続けるとでも言って欲しい。アイドルを応援する形は様々あるけれど、私はアイドルに活力をもらって自分も頑張るというよりも、私の人生はもうどうにもならないからせめて君だけは望みを叶えて欲しい、私の分まで持って行って欲しい、というスタンスで生きている。私には見ることの出来ない景色を代わりに見て欲しい。私は蒼弥を通して、私には見ることの出来なかったはずの未来を見たい。誰よりも長く強く派手に、それでいてただただ健やかに、生き続けて欲しい。


25歳。結局今日まで、あのシアタークリエに再び赴くことはついぞなかった。だから多分、私の魂の半分はまだ日比谷の街を彷徨っている。でもそれでいい。返してくれなくていいから、できればずっと蒼弥が持っていて欲しい。


今日の東京は雨でした。今日も東京は大量のゴミを吐き出して人間に馬鹿でかい夢を見せて光っている。汚くて煩い街。人間のしょうもなさを上手く誤魔化すための街。それでもね、蒼弥が今日も東京で生きているというだけで、この街も少しか綺麗に見えるよ。君が電車に乗るから私は今日も全線の安全を祈るし、君が出歩くから今日も東京でテロや無差別殺戮が起こらないことを祈っている。君がどっかで見ているかもしれないから、電車で赤ちゃんが大泣きしていても睨みつけたりしないし、横入りされても舌打ちしないし、ポイ捨てもしないし歩きタバコもしない。道端で小学生がぶつかってきたとしても平気なフリできる。蒼弥が生きている東京はほんの少しだけ澄んでいて、ほんの少しだけ息がしやすい。


君の名前を大声で呼べる日が、もうすぐ来るだろうか。笑っていてほしい。君が世界一幸せでいられる場所がステージであるならばどんなに嬉しいだろうか。そして、そのステージは、気丈に振る舞う君が泣ける場所でもあってほしい。



20歳になって大人になった気になんかならなくていいよ、君はまだうら若くて、痛々しいほどに青い少年のままでいて



毎年いまかいまかと待ち続けて、時計の針が重なった瞬間に蒼弥の誕生日を祝いたい気もするけれど、仕事にかまけているうちにうっかり一日過ぎてしまって、「あれ、てか幾つになったっけ?」なんて話が出来る日がいつか来てほしい。君の誕生日を今年も祝えるということ、それが忘れてしまうほどに当たり前になった日、それは他でもない、蒼弥お得意の「永遠」に触れた瞬間なのだと思う。



bgm:YUMEGIWA LAST BOY/スーパーカー